以前に語ったことと少し被るけど、
私は
「これまでに出会った人・物すべてに感謝したい」
と思っているわけね。
難しい場合もあるけど、少なくともそういう姿勢ではありたい。
その考えは
「かつて男性として暮らしていた」という過去に対しても同じことで。
いや、ていうか
「じゃあ今は女性なのか?」と問われても困るよ?
明確な基準があるわけでもないし、自分とて
十分に信頼できる方からそう言われたのを鵜呑みにしているだけなので。
そこはウィークポイントなので、あくまで
「女装子的な意味での『男モード』が現在の生活に存在しない」
くらいの解釈に留めるとしてね。
で、話を戻すと
もともとの身体の性で生きていたことに対しても「無駄な年月を過ごした」と考えるつもりはなくて、
「男心の理解できる女性」とかになるのかな。
「両方の性を経験したからこその強み」として、何かしらの自信を持ちたいというか
男であったことに対して誇りを持ちたい。
今はまだ忌避感が強いけど、そのうちね。
ていうことをね、まだトランジション途中のくせに達観したふうに言っとるわけです。
えらそうにね。ほんとにね。
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で、真面目な語りで蓋をしておいて
泌尿器科の話に飛ぶわけですが
あー結局触診とかの後、主治医への手紙を持たされて終わりね。
主治医がいるって面倒くさいね。
次いつだよっていうね。
まあたしかにここでホル射たれても通い続けるの面倒だしいっか。
でも相変わらずのたらい回され感。もう慣れっこだよ。
言いたいのはそこでの触診なんですけどねー、
おっぱいとちんこ触られたよ!
何故か物凄く言いたくなっちゃう。
問題の単語はそのまま。言い換えることなく叫びたいよね。
理由は解らないけど言いたくなる。
なんだろう。「両方ついてる」という倒錯感が楽しいのかな。
まあいいじゃん。
トランジションの過程を楽しむのもいいじゃん。もう悲しみたくないんだよ。
だから、トランジション途中の今の状態を象徴する言葉としてこのセリフを口に出したい。
おっぱいとちんこ触られたよ!
けっきょく旅行の詳細は書かないのかよって言われそう
まあいいや
ここ最近で色々な出来事があったのは本当で、それが一先ず落ち着いたので
いま考えていることを整理しておきたいと思う。
えーと。
今年に入って、多くの女装子やMtFさんと出会って、実感したことには
人それぞれってこと。
考え方や目指すものはそれぞれに異なってるんだよってこと。
そんなこと解りきってはいたけど、それまで以上に強く実感した。
週末女装を楽しんでる人から、鬱系MtF、性変済みの人とか。
傍から見てて「やっぱりおっさんだなあ」と感じることもあれば、羨望で見てしまうこともあって。
あまりに羨望や嫉妬を抱きすぎると「自分もこうなりたい」との思いが強くなりすぎて
自身や自身の目指す道を見失いそうになってしまったり。
そんなことを繰り返しつつ、周囲を見回しながら思ったことには
自分に性転換は必要だ。
でも、自然体でいたい。何かを演じるのでも、自分を変えるのでもなくて。
昔から夢に描いていた「ボーイッシュな女の子」とは、こうありたいと願う自分の理想の姿だったのだ。
ここで根拠を説明するのはやや面倒だが、それは十分に実現可能だと考えている。
本当に大体しか説明できていないが、大体はそんなところだろうか。
ついでに、いつしか身に付いていた声色6種を上げてみる。
この中だと3番目くらいの声のキャラでいたい。
http://litz.sakura.ne.jp/upload/src/up0508.mp3
さてさて
そろそろ本題を見失ってきた頃なので締めたいですが、
「進み方はあくまで人それぞれです」
「私の道中にはこんな石が転がっていました」
ということを強調しておきたいと思います。
みんなの道中も見せてね!
最近「トランスジェンダー」話が続きすぎて恐縮なんですけど、
大きな心境の変化というか動きだったので記しておきます。
それだけ今はそのことで頭がいっぱいになってて、
長いこと悩んできたこの気持ちが嘘じゃないことの証拠程度に考えてくださいな。
えっと。
昨日の雑記の前半部分の続きみたいな話なんですが
まあ、初めて、MtFの方と会って、
もうなんかすぐに打ち解けて、がっつり長時間語らわせてもらったんですけど
(ほぼ同年代だけど)姉さんは綺麗で、かっこよくて、おしゃれで、時折かわいくて。
すごく羨ましくて仕方なかった。
見た目も仕草も声も。いや声は羨ましいの域を超えてるけど。
そんな憧れの姉さんが、「まだ女性歴が浅い」として「こっちサイドの人間」として私を同列に見てくれて、
嬉しかった。
というか、「女性歴うんぬんってことは、いま私は「女性として暮らしている」と言ってよいのだろうか。
私は、紛う方なき「MtF」なのだろうか。
そんなこと、考えたためしが無かった。
「常に自分自身なのであって、男モードとか女モードとかなんて考えてない」といつも言い訳していたが
それ以上に、
「女装は変態」「逸脱行為は悪」「こんなことは考えちゃいけない」「恥ずかしい」「性別を変えるなんて言語道断」
として私自身をがんじがらめに縛っていた背徳感というか、罪悪感というか、
良く言えば「品行方正」な優等生的な行動規範の考えが常に邪魔をしていた。
だから、自分をそんなふうに考えたことがない、いや考えてはいけないと思ってたけど、
やはり人から見れば私は「女性として」生活し始めていたのね。
っていう。
ジェンクリ用の自分史を書き上げてようやく私の本心を妨げていたものに気付いた。
提出した臨床心理士の先生に「辛かったんだね」と言われて、本当に救われた気がした。
小学生の頃、いじめに遭って登校拒否を催した私を連れて児童相談所に向かった母がカウンセラーに言われた一言と全く同じだった。
ああ、「辛かった、苦しかった」と言って良いんだなって。
知らぬ間に性同一性障害の悲しみ部分ばかりを多く抱え込んでたのかって。
すごく救われた気持ちになったし、しかし同時に恥ずかしくなってくる。
だって、自分のキモチを自分自身で縛り付けていたのだから。
女の子になりたいという気持ちが小さい頃からあって、
「それはイケナイことだ」と自分に言い聞かせて何もせず、
大人になっても「こんな異常なことは許されない」という考えが強固に残ってて何もできず、
ついに「男の人生は、自分には無理だ」という最後の瞬間を迎えるまで、いや、
迎えた後ですら背徳感となって自由に行動できなかったりする。
そんなことをしている間に姉さんはどんどんキレイになっていってて、
ようやく人生を変える決心がついた私はまだ2レベ。
「見た目は十分大丈夫」だとは言われても不安や罪悪感に満ちた、初めての女子トイレだったし(これについては貴重な意見を聞いた)
ココに来てなお「性別:女」と答える勇気が無い。
ずっと早くからトランスを始めてて、すっかり女が板についてて色々なキャラの模索を始める余裕綽々な姉さんと、
密かな憧れだけを持ち続けるものの何もできず、苦しみの果てにトランスをしないでは生きられなくなった頃でもまだ1レベの私。
較べるもんじゃないけどね。
でも、年月を無駄にしすぎた。
残念すぎる。悔しすぎる。恥ずかしい。
これから、多くのハイレベルなT'sと出会って自己嫌悪になるのかと思うと気が滅入るのだが、
だからといってトランスを止めるわけにはいかない。
もう、男としては生きていけないのだから。
なんだかネガティブなこと言ってるけど、でも、
「羨ましい」「悔しい」と思う気持ちを「自分を変えていく努力」に変換せななと思う。
とりあえず、今の所は、「いま出来る努力」への原動力に置き換えられてるんじゃないかな。
なにくそと思う気持ちは重要だ。
焦る気持ちはあるけれど、まだ男でいることを諦めた「最後の日」からまだ2か月ではないか。
それでここまで成長できたんだし、やってできぬことではないだろう。
ってね。
単なる羨望感で終わりじゃなくて、「女性に……なれるでしょきっと」と思える、そんな出会いでした。
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↑
「ていうか、もう女性になってるんだけどね」とは言えぬあたり、まだ気持ちで負けてるかな。
背徳感とか罪悪感とか、そういうのを捨てないと。
もうちょっと図々しくなってもいいと思うよ
性別移行をしようとする人間にとって、
名前をどうするか、というのもまた大きな問題ではあります。
いつまでも男性名のままだと支障がありますから。
あと使用実績が大切になってくるので、早いうちに通名(女性名)を使い始めるのが得策のようです。
さて、その名をどうつけるかという話ですが
名前なんて一生ものですので、RPGの主人公にいつもつけてる「みそかつ」のような
その場の思いつき的なネーミングは避けたいものです。
とすると、今まで使い慣れてる
・由岐
(中学生の頃に「自分にもう一つ名前をつけるなら」で考えた名。
後に「由樹」さんと仲良くなるも、なんか恥ずかしくて呼べなかった経験あり)
・りつ/律
(高校生の頃に「リッツ」として使い始め、今でもあちこちに"Litz"表記は残っており
仕事でも「りつ」と名乗ってたりしてます)
の二つの路線かなとは考えていたのですが、
苗字との組み合わせだとどうしても姓名判断的によろしくないようだし、
まああと色々と思うところがございまして、
全く新しい名前を考えて自分につけることにしました。
まだね、「君に決めた!」といえるものは無いんですけど
(いまの)本名のテイストを残して
「悠可」(ゆか or ゆうか)
はどうだろうかと思ってるわけです。
「か」は「加」「禾」「夏」「香」よりもこっちがいいですよね。なんかね。
なんだか妙にしっくり来ませんけどね。
ぜんっぜん脳に焼きつきませんけどね。
その辺は自分でひっそりと紙に書き続けて、自分で目に馴染むと思ったらこれにするし、
そうでなかったらまた次の案を出しにかかります。
とりあえず、ちゃんと名乗るのは治療が次段階に入ったら(入ることができれば)ということで、
その折には身近な方にはお知らせしたいと考えてます。
そう呼んで欲しいので。
では。
なんか長いこと雑記をさぼってましたが元気ですよ。
お久しぶりです。
さてさて
今回使った言葉
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GID:Gender Identity Disorder
MtF:Male to Female
TG:TransGender
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昔、自分のサイト上で、とはいえ誰かに読んでもらえているのかも怪しい秘密基地みたいな過疎サイトで
言葉の説明もろくにせず、どちらかといえば「読むな!」とも取られかねない姿勢で
「私はGID(MtF)だと思う」だとかいう内容のことを吐露してからそろそろ7,8年が経とうとしている。
今もそう。
でも結局、このひっそりとした白状以上のことは何もしてない。誰にも言えてない。
この本文だって、ほんとうにアップしようかどうかえらく迷った末のものである。
友人に話そうものなら、ことによると誤解され疎まれてしまうのではないか。
親に話せば、「そんなことはない。お前はれっきとした男だ」とかいう死刑宣告にも近い言葉が返ってきてしまうのではないかと。
そう思うと誰にも言えやしないわけで、
むしろ「一過性の思い違いだ」などと色んな理由を付けて自分の「ココロ」の部分を長いこと抑圧して過ごしてきたわけだけれども、
海より広い私の心も、ここらが我慢の限界よ!(キュアマリン)
ちょいと機会があって、ちょいと真面目にこの問題に向き合ってみたところ
永きに亘って「本当の自分」を押し殺してきた言い訳の山が次々と覆されて来ちゃっているのである。
これはちょっとした一大ムーブメントだ。上を下への大騒ぎ。
詳細や実例は聞かれたらいくらでも答えるよということでココでは省略するとして、
悲壮感に満ち満ちた告白など別に面白いもんではないのでいちいち喧伝しないこととして、
生まれたときに割り当てられた自分の性別に対する違和などちっとも消えていなかったことにうっかりちゃっかり気付いてしまい、
手始めとして年明けに精神科を受けてみる路線でいこうかな(「来年から本気出す」ともいう)、
いずれにせよTGなのだから年末か正月に親に打ち明けてみようと決心したものの話の運び方のシミュレーション段階でいつも泣き崩れてしまうのだけど
果たして上手くいくのだろうか?
どうも自信が出ないところである。本音すぎると感極まってしまうのが何とも辛い。
というように、実際にどう動くかは決まったとして
自分自身における心の持ちようとしても、いったんTGを認めてしまうと、わだかまりの無い晴れ晴れとした気持ちになれたことに気付く。
「周囲は必ずしも理解して受け入れてくれる人々ばかりじゃないんだろうな」といった不安からくる恐怖は解消しないものの、
「自分の意思に関係なく割り当てられた性別になど従う必要は無い」「自分の意思にのみ従えばよい」
と考えることにすると、いくぶん楽になった感じがする。
書類の性別欄の記入や公衆トイレなどでの二者択一が苦痛であることに変わりはないが、「本当の自分」を抑えつけることをやめたことは大きい
かも知れない。
自分の「中身」の部分は一切変わってないのだけど、考え方ひとつで。
この現象を世間では「吹っ切れた」と呼びます。
高知ではこう言う